オーディションの現在と未来(演劇)

1.俳優とオーディションについて

 

-映画とミュージカルの分野はオーディションが活性化されている。演劇も同じである。

わずか10年前まではオーディションで俳優を選ぶというより、知り合いの俳優達と主に仕事をこなしていたのだが、最近では演劇もオーディションが活性化されている傾向だ。

 

-舞台は俳優芸術、映画は監督芸術、TVは作家芸術・・・舞台を学ぶ日々天才にならなければならない。 生命力、躍動感ある演技、オーディションで審査員は俳優の持つ生命力を見たがっている。

 

-舞台演技のジレンマ、後ろを知らない状態でなければならない。死ぬことを知り、死ぬ事前から死の状態を考えていれば、実際の死の前での生命力が落ちる。今まさにここで(here and now)

 

-オーディションを準備する時は再演するのではなく生命力を持って挑まなければいけない。 上手く演じたいという気持ちはそれが未来ですでに向かっている事だ。この瞬間にだけ存在するべきで俳優の自由というのは過去と未来から自由になる事だ。 (仏教でいう理論と酷似-この瞬間にだけ存在せよ)その瞬間毎に常に忠実でこそ目的と目標を達成する事が出来る。ただ現在の状態で懸命に没頭しなければならない。

 

-演劇を専攻しなかった人がむしろ生命力がより溢れている場合が多い。 かえって初心者や子供のように演技をしなければならない。集中や信頼など子供はよく信じる。

 

-絶えず自分自身を変化させなければならない。 分析力、身体性、台本への理解などが大切だ。

 

-本当の俳優はコメディが上手くなければならない。(モリエール)

 

-オーディションを行う際、俳優の最初の言葉が出てくるのだけを見てすべてが判断出来る。 ひとつの台本を色々と表現するにはどのようにすればよいだろうか?

声、考えの変化、呼吸、行動、リズム、質感、強度、エネルギー。

 

-オーディションの台本は一週間前にもらうか、一日前にもらう可能性もあり、当日その場で与えられる可能性もある(即興を見る、即興は普段の実力がすべて現れるからだ。 即興性が大切だ。色々な条件に直ちに対処しなければならない。瞬間の没入だ。

 

-判断する俳優は優れた俳優ではない。

教会を欠かさずに通ったり、とても誠実な人々がむしろより良い判断する場合が多い。

-演技の勉強をするということは結局たくさん学んで再度その枠組みを壊して捨てる作業である。 しっかりと学んでこそちゃんと捨てる事が出来る。空にしてこそ埋める事が出来て、素直に学んだ全てのものを捨てて、ただその瞬間に忠実でなければならない。

 

-オーディション会場には1時間前に歩いて向かえ!時間に追われ差し迫る気持ちでオーディションに挑めば、絶対にちゃんとした結果は出ないであろう。 余裕を持って向かいオーディション会場の扉を足で蹴って入るくらいの堂々とした気持ちで余裕を持って挑め。学ぼうとする能動的な人でなければいけない。そういった態度が天才を作る。

 

-審査員から何のコメントも無いのは、とても上手いかとても下手のどちらかである。

 

-オーディションに入る時はその瞬間から徹底的にその状況に入り込め。オーディションに受かるや落ちるなどの考えを捨て、ただその状況の任務を忠実に遂行せよ。

 

-徹底的に自分のタイプに合わないオーディションであれば果敢に受けるな。しかし経験を積む為の挑戦は悪くない。劇団から要求するタイプ通りに徹底的に役作りに入り込むか、でなければ受ける2週前から完全にその人物として生きろ。

 

-考えと感情は違わなければならない。 ‘状態の変化’、今現在に完全に没頭すれば、状態と生命力が出来上がる。台詞以前に状態が出来上がりその状態の変化がなければならない。

 

-俳優は自分の体調と常に精通しなければならない。五臓六腑が健康でなければならない。

臓器が良くない俳優はうつ病や脳と身体の連動が悪くなりリアクションが弱くなる。常に健康に神経を使いながら徹底した自己管理が必要だ。俳優の身体と声は正確な認知の中で変わる。 大学を卒業して大学路(テハンノ)で活動する多くの俳優が酒にはまり、自身の体調管理を疎かにする俳優が殆どだ。 俳優は食からまず徹底しなければならない。それが出来る俳優は違う・・・。

 

-オーディションを受ける際に即興の台本を与えられてもすぐに実践せず、正確に把握出来てないならもう少し時間が欲しいと言え。ヨーロッパの俳優の多くは演出者に時間を要求する場合が多いが、韓国の俳優はとても急いた状態で実践する場合が多い。 準備が出来てないと分からないと言え。俳優は正直であり、そして偽ってはならない。

 

-演技は基本的に自然なのではない。芸術は自然とは違って人工的な部分を学ぶのが芸術だ。

もし大劇場の舞台に立って観客に伝える為、声を大きく出すのが不自然だと言うならば・・・自然と言うのを追求するとその状況で普段の会話(小さい声)で観客に伝える事が出来ないのが不自然なことであって、かえって大きく発声をして観客にしっかりと伝えられるのは自然なのである。

舞台というのは結局は観客にちゃんと見せるべきものなのだ。映像演技はその瞬間に撮られるものであり、一方舞台演技は全体を見せるものだ。結局、自然だというのは舞台での状況と状態に対し自由になることだ。

 

-練習というのは尽きる事なく与えられた質問を解決することである。

 

-アントン・チェーホフ(ロシアを代表する劇作家)の演劇は面白くないといけない。それでこそ観客が見るのだ。大多数のチェーホフの演劇が退屈に感じられるのは、面白味を探せないからだ。

生き生きしたスペクタルが起きなければならない。

 

-例えば舞台の上で怠けた状態を演技する場合、具体的にやるべき仕事を探しながら怠ける様でいなければならない。ただひたすらそのまま横になって寝転がり怠けるというのは舞台の上での

演技ではない。ごろごろと怠けると言ってそれは受動的な状態ではなく、具体的な目的を持つ能動的な怠けた様でなければならない。演技というのはActing(行動)だ。行動には目標がある為だ。 日常を生きるすべての人は理由無しに動かない。何かを解決しようと動く。動物と植物も同じだ。

植物の葉が大きいのは、陰の植物なので太陽を向かって絶えず動く。 自然も結局は絶えず何かを解決しようと動く。 舞台の上での俳優も解決する為に動いて解決する為に学ぶ。

 

-俳優の真性が大切だ。伝染性がなければならない。肉体、精神、魂を持って演技に挑め。

オーディションを受ける時は全員に伝染させてしまえ。俳優の最終段階は聖職者だ。

 

-優れた俳優であるほど自分の演技に対しリスニングを望む。誰かが客観的に自分自身を眺める事が出来る視線が必ず必要だ。そうしなければ自身の心理に陥ってまとめに客観視出来ない。

 

-練習の過程でシェイクスピアの演劇を行うならば、普通なら怒鳴り叩きつける稽古をたくさん繰り返して実現するが、実際はむしろ内在的に吟味をしながら稽古をすればより効果的だ。

反対にチェーホフの演劇も同じだ。チェーホフの演劇を稽古すれば吟味をしながら行うのに対して反対に強く叩きつけ上手く怒鳴りながら稽古を行ってみろ。

 

-俳優は観察力が優れてなければならない。演技というのはこの世に存在しないものを行うわけではない。現実での根拠を探さなければならない。米国の俳優ダスティン・ホフマンは観察力が非常に優れている。演劇‘セールスマンの死’でウィルリー役を演技する際、自身の父を観察してその人物を作り上げ、映画‘小さな巨人’のインディアンを表現し観察する為に毎日アメリカのインディアン達と生活を共にして役作りを構築させたと言う。映画‘トッツィー’の撮影時には女装し、女性を演じる時は自身の母を毎日観察してキャラクターを作ったと言う。ダスティン・ホフマンが若い頃、演劇‘セールスマンの死’の旗を掲げるアンサンブル役を演じる際、いつかは自身がウィルリーを演技すると念を押しただひたすらウィルリー役の先輩俳優を観察したと言われる。彼が青年から中年に差し掛かる頃、世間にある程度名が知られた俳優になろうと心に決める。生涯夢見て観察してきた演劇‘セールスマンの死’のウィルリーを演じる為に自ら劇団を訪ねたりもした。しかしとても小さな体格だった為これを心配した劇団員達に自分がウィルリー役を演じる事が出来るという信頼を与えるために数ヶ月間、再びセールスマンを観察して研究したと言う。

そんなある日、セールスマンの衣装と扮装をして劇団にいきなり訪ねて行き門を叩いた。この時、門を開けた劇団員はダスティン・ホフマンを見てこのように話したと言われる。

“私達は何も買うつもりはないから、お引取り下さい”と、彼らはそのセールスマンを俳優ダスティン・ホフマンだという事にまったく気づかず、集金しに来たセールスマンだと見事に騙されたのだ。

 

-ある映画に80代の老人を演じる2人の俳優がいたと言う。ある俳優は実際にも年齢が80代であり、もう一方の俳優は30代の俳優だった。30代の俳優は80代の老人を演技する為に、お年寄りが集まる公園に自身も老人の扮装をして毎日足を運んだそうだ。最初の1ヶ月は誰も彼に話しかけなかったけれど二、三ヶ月が経つ頃ぐらいには公園のお年寄り達が自分も同じ歳くらいの老人だと思い、先に話しかけたと言う。

 

-配役を与えられたなら日常にいる実際の人物をしっかりと観察せよ。イギリスの国立学校では配役が与えられれば俳優が一番、最初に訪れる場所が二ヶ所あるという。博物館と公衆電話・・・

博物館は資料を探す為、公衆電話はそこに過ぎ行く人々を観察する為だ。イギリスの情緒上の人をまじまじと観察するのは失礼に当たる事なので、電話をする振りをしながら道行く人を観察する事だ。創造的な人は観察力が優れている。観察を生活化しなければならない。 コンビニのアルバイトや保険会社の職員はありとあらゆる様々な種類の人と対面し出会うので俳優に持ってこいの職業だ。最終的にはコンビニにお客が入ってくるのを見るだけでも、その人が物を買うのか買わないのかなど行動が見える境地になり、巫女のように人の心を通して突き抜けてみる視野を手に入れる事が出来る。このような内在的な能力が俳優には絶対的に必要な事だ。

 

-偉大な俳優は自分自身をオープンにする事が出来る。自身を開いておけば入って来る為だ。

また自分だけの世界がなければそれは虚しい。その為色んな俳優が同じハムレットを演技するといってもすべて違ってくるものだ。

 

. 模擬オーディション

ある学生の俳優がベルトルト・ブレヒト(ドイツの劇作家)の‘セツァンの善人’の台本を即興で受けて、5分程の時間が流れて演技を行った。まだ台本が熟知出来なった状態であり、動きは無しでほとんど台詞と表情だけで演技を表現して見せた。

-観客は台詞を聞きたいのでなく見たいのである。ありきたりな物は芸術の敵だ。満足してはいけない。自分が行わなかった事をやって見なければならない。表面から見る時は欠点がないが、少しは間違っていても魅力がなければならない。演技はストーリーではなく行動だ。台本で行動を探せ。台詞と考えずに行動せよ。チェーホフの劇(日常の行動)、ブレヒトの劇(社会的行動)、不条理劇(形而上学的行動-円を描いたりする行動)、俳優の言葉、身体、心理で行動を見せるべきだ。 行動をすれば存在感が出来上がる。行動の強度がイメージを作る。演技というのはすべき事を探す事だ。瞬間、瞬間のすべき事に忠実さがTextの中での演技の流れと変化を作る。現実と幻想の関係をよく知らなければならない。人生と幻想が行き来する事が演劇だ。俳優の身体は日常的な身体から俳優の身体へ、その次の人物の身体へ変化がなければならない。空間も同じだ。日常の空間と舞台の空間、すなわち現実と幻想の空間を行き来しなければならない。オーディションを受ける際も登場する時から幻想の空間にすぐに入り込んでこそ演出者もそれを見て信じ込む。

オーディションの時、多くの俳優が失敗をするのが日常の空間と幻想の空間の概念の無知だ。

丁重に挨拶をするといって挨拶後すぐにキャラクターへと没頭するのは審査員への信頼を落としてしまう。 挨拶をして現実での空間で幻想での空間での変化を見せなければならない。 例えば挨拶を行い、後に回り状態を整えて再び正面へ立ち幻想の空間に入り込む。あるいは空間をさらに広く使い、それに対してささいな概念の差を見せれば演出者はその俳優を信頼する。

その前に舞台とは準備する場所でない。丁重に挨拶をしたからと言って中央に立たなくても良い。 舞台に上がる瞬間幻想だ。舞台の上は魔法の空間だ。二三箇所の空間を行き来して演出者に自分を信じさせよ。

 

-自分の劇団の俳優達は最初の読み合わせの時から体で台本を学ぶ。

読み合わせより最初に行動をすることによって言葉に依存するのではなく、行動を見つけるのだ。

読み合わせは読む練習でない。行動で動線を見つけて動線で再び感情を探し出すのだ。

 

-良い小説と戯曲は行動がはっきりしている。日常をよく観察すればそこですべての答えがある。 チェーホフの演劇はテキストに行動の暗号が隠されている。行動をすると言ってmovement(移動)をする傾向があるが、動詞を探して行動しなければならない。

 

-演劇はメタファーと隠喩を表わして、映画はリアリティーを強調する。

 

-すべての演技は行動と無意識が一致した状態を作ることだ。

 

-リアクションの対象は劇と時代の特性により違う。不条理劇(自分の中に)、リアリズム(相手の俳優)、シェイクスピア()、ギリシャ演劇()

 

質問1)

オーディションでの自由な台詞を選ぶ時現代劇と古典劇の台詞の内、どちらを選択するのが良いですか?

答1)ありふれた日常的な台詞は日常に留まりすぎている為、幻想の空間を見せるチャンスが無く危険だ。日常の台詞でもその濃さを見つけなければならない。古典劇であっても十分に行動を探す事が出来るし、古典の台詞の言語を実現する際は台詞をイメージ化させよ。

星を具体的に昨日を具体的にそのイメージを認識せよ。結局は空間に伴うエネルギーをちゃんと見つけ出さなければいけない。創作劇もまた一長一短だ。

 

質問2)自由な台詞を話す時、必ず自分のイメージにしっかりと合った台本を持っていかなければなりませんか?

答2)それはひょっとしたら自分自身が一番難しいかもしれない。数ヵ月前にある小学校の女子学生がおばあさん役を演じているのを見た事があった。とても上手に演じていた。

自身の年齢と状態がより離れているほど、上手に表現出来る事もある。

 

質問3)どういった服装で挑めば良いでしょうか?

答3)素朴で普段の自分らしい服がベストだ。キャラクターの衣装を着て行けばそのキャラに対する役作りが引き立って見えて良いと思う。比較的、落ち着いた色(黒色)のトレーニングウェアは、他の場所へと視線が分散しないで人物像が良く現われる。

 

-基本的に自分はその俳優の可能性を見る。過去に多くの可能性を秘めた俳優を選んだ事があったが、色んな形へと変化せずそれだけは上手かったと思う。

 

-興味深い俳優がいる。まさに真実味のある人間だ。真っ直ぐだからこそ興味深いのだ。

積極的で熱意がある人間も基本的には興味深い。

 

-テクニックを学ぶのはテクニックから自由になる為だ。そして学んだ枠組みから抜け出し、執着しないようにするならその枠組みを完璧にマスターしなければならない。オーディションの時は学んだ事をするのではなく、あらゆる事を捨てて自分自身に入り込め。舞台でも同じである。

 

-オーディションというのは成功と失敗ではない。オーディションはそれに合ったものを選ぶ事だ。

だから落ちたといっても挫折せずに、自身を客観的にチェックせよ。

 

-過去にオーディションに落ちた俳優が数ヶ月後に再度私たちの劇団のオーディションを受けた事がある。以前に指摘しコメントした多くの部分を自ら改善し、もちろん完璧ではないがその直そうとする努力に感動をした事がある。真実と人間的な誠実さが大切だ。俳優の舞台と日常での人間関係は演技以上のことを創り出す。

 

-俳優と水のような存在でなければならない。物事をしっかりと理解するには、きちんと聞かなければならない。耳を傾ける事が長けてこそ優れた俳優になる。自分自身を常に開放して要求する全てのものを聞き入れよ。俳優は常に選択される人間だ。

 

最後にこの世の芸術家の中で俳優という人間が最も偉大だ。成熟した人間になれ。人として成熟すれば台本が見える。舞台と日常をよく区分して行き来出来る俳優になるよう願っている。私が30年以上追求してきた演技芸術に対するノウハウと考えを皆と分かち合う事が出来た今日この場所が私にとって実に意味深い場所だ。

今後さらに成熟し努力し、我が国の文化芸術界を上手く引っ張って行く事を心から願う。

 

作成者-ジュニアメンバー チェ・ジェヨン

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コメント: 1
  • #1

    南天 (木曜日, 23 1月 2014 01:33)

    パクシニャンさんが学び 備わっているすべてを ようやく いかんなく 現していくことができるのがFUNである と感じています。